タイプの異なる3つの名園。武田信玄作庭説もある池泉庭園に京都・植音が手掛けた石庭、小口基實作庭の枯山水庭園。
慈雲寺庭園について
「白華山 慈雲寺」(じうんじ)は諏訪大社下社春宮から程近くにある、戦国時代には武田信玄により中興開基された寺院。本堂裏の池泉庭園は武田信玄の命によるとも伝わり、また本堂・書院前にはそれぞれ京都の造園会社・植音さん、長野の作庭家・小口基實さんにより手掛けられた枯山水庭園“帰錫庭”や書院庭園が広がります。
2019年夏、松本アウェーからの信州庭園巡り。以前からここはオススメされていたのですが想像以上に素晴らしかった…!参道のアプローチの杉林から雰囲気が幽玄でとても良くって――アジア系のカップルが写真撮影してて。この日泊まってた上諏訪のゲストハウスも殆どがアジア系の若者だったんだけど、訪日客にも既に有名なんだと感じた。
慈雲寺の創建は1300年(正安2年)。鎌倉の大寺院『建長寺』の住職も務められた一山一寧国師により、諏訪大社下社の神官の最高位“大祝”を務めた金刺満貞を開基として創建。一山一寧国師は地元の中国にならって日本初の八景“諏訪八景”を選定。この慈雲寺も“慈雲晩鐘”として選定されています。
その後、京都『建仁寺』の住職も務めた鎌倉〜室町の著名な禅僧のひとり・雪村友梅禅師も慈雲寺に入るなど信州を代表する寺院の一つとして発展。
戦国時代には甲斐『恵林寺』の住職も務めた天桂玄長禅師が入り、その縁で武田信玄の援助により境内が整備。現在でも寺紋には武田菱が用いられています。ただし武田信玄により整備された伽藍はその後焼失、現在残る本堂や山門は江戸時代中期〜後期に再建されたもの(下諏訪町指定有形文化財)。
その他、天桂禅師お手植えとされる樹齢400年以上のアカマツは下諏訪町指定天然記念物で高島城を築いた日根野織部正高の供養塔も町文化財、また室町時代の梵鐘が長野県宝となっています。
本堂に掲げられている扁額は一山禅師に帰依していた後宇多法皇による筆…などなど、所蔵されている仏像や前述の町指定文化財の本堂や山門の棟梁まで判明してリーフレットに紹介されている(=クリエイターを尊重している?)のがこのお寺のユニークなところの一つ。本堂は立川流工匠・初代立川和四郎富棟の弟の子・上原市蔵正房。山門は大隅流工匠・村田長左衛門矩重。そして庭園の作庭者についてもやはり説明があります。
■帰錫庭(1・4〜11枚目)
本堂正面の石庭“帰錫庭”(きしゃくてい)の作庭は神戸・祥福寺僧堂師家の河野太通老師の作庭で、築庭の施工は京都の植音によるもの。高野山金剛峯寺の『蟠龍庭』を思い出す広大な回遊式枯山水庭園は別名を“釈迦十大弟子の庭”と言われ、修行のための地方伝道から帰るお釈迦様の弟子たちの様子を、四国・四万十川源流域の巨石・銘石を用いて表現したもの。
で、京都の植音さん。名前を認識したのは初めてなのですが、明治〜大正期には七代目小川治兵衛(植治)とも共同で作庭に携わっていた実績もあり、当サイトで紹介済みの庭園で言うと、妙心寺塔頭の『春光院庭園』を手掛けられているそう。京都府の長安寺は福知山の『長安寺庭園』(重森完途作庭)のことかなあ?
あと以前安価を理由に泊まった京都の旅館のお庭が良くて気になっていたのだけど…そこも実績にあったので後日紹介することにする!
■池泉庭園(12〜15枚目)
最初の作庭は鎌倉時代に一山一寧禅師とも、室町期に武田信玄とも伝わる古庭園で、現在の姿に整えられたのは江戸時代後期の1837年(天保8年)。大きな亀島の浮かぶ池泉鑑賞式庭園で、その歴史から言っても文化財指定を受けていないのが意外。
■書院庭園(19〜21枚目)
で、最後に書院前にも苔の美しい枯山水庭園があります。こちらはお寺のパンフレットには情報がないけど小口基實さんの実績一覧によると2004年に作庭(改修)されたもの。横たわった苔むした巨石も、石橋から蓬莱山を眺める景色の移ろいも素晴らしい。規模は一番小さいけど、ほんとはこれだけでも見る価値あるぐらい…。小口造園は2000年代に書院庭園の他にも参道や境内の整備なども担当されたそう。
という感じで見所がとても多いお寺です。松本〜諏訪あたりを旅行する際は是非立ち寄ってほしい!
(2019年7月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)