直指庵

Jikishian Temple Garden, Kyoto

縁結びにご利益の“愛逢地蔵様”も人気。幕末に“近衛家の清少納言”と呼ばれた老女津崎村岡局が再興した奥嵯峨の隠れた紅葉の名所。【秋に特別公開】

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直指庵について

【通常非公開/紅葉時期に特別公開(無い年も)】
「祥鳳山 直指庵」(じきしあん)は京都を代表する観光エリア「嵐山」の北方、北嵯峨にたたずむ浄土宗の寺院。昭和時代に前住職が作庭された阿弥陀堂庭園のほか、境内全体が一つの回遊式庭園のようになっており隠れた紅葉の名所として知られます。縁結びにご利益のある「愛逢地蔵様」も人気。

平安時代の庭園『大沢池』のある『大覚寺』から北へ徒歩15分程。観光客はグッと減り、住宅街の先にある直指庵。まだ訪れたことがなく、2024年の紅葉の特別公開で初めて訪れました。

その歴史について。創建は江戸時代初期の1646年(正保3年)、隠元禅師(中国・明から来日した高僧で日本の黄檗宗の開祖)の高弟・独照性円禅師がこの地に草庵『没蹤庵』(ぼっしょうあん)を結んだのがその始まり。隠元も訪れた事で寺院として拡大、禅語の《直指人心 見性成仏》から「直指庵」として知られるようになりますが、江戸時代後期には無住のお寺となり荒廃。

中興の祖となったのは「村岡局」。“五摂家”近衛家に仕え近衛忠煕(左大臣・関白)の信頼も厚く「近衛家の清少納言」とも言われ、晩年には安政の大獄も経験。それを乗り越え、篤姫が江戸幕府将軍・徳川家定に嫁いだ際には(篤姫は薩摩藩主・島津家出身で近衛家に養子に入った後に徳川家へ)養母も務めました。晩年に着いた役職から「老女津崎村岡の局」「勤王の女傑」の表記も。

その村岡局が最期の場として選んだのが直指庵。再興とともに浄土宗に改宗。再建時の建築等は明治時代始めに火災で焼失していましますが、有志によって1899年(明治32年)に茅葺屋根の本堂などが再建され現在へと至ります。ちなみに現在の山門は比較的近年、2014年に浄土宗の総本山『知恩院』から抽選の末に移築されたもので、元は1703年建立。

本堂から開山堂へ向かう途中には文人・与謝野晶子の歌碑が建ち、女性にも人気を集めてきたお寺。そして隠れた紅葉の名所として人気の直指庵。前述通り竹林に囲まれた境内全体が回遊式庭園と言った形で、それぞれ「これが主庭!」と言う感じともまた違うのですが、境内には幾つかのお庭が点在します。

(A)山門近くの、大きな春日燈籠がアイキャッチとなっている空間

(B)本堂から眺める庭園
建物前の空間は広くありませんが、先の(A)の空間のモミジを一望。
気になるのは、小石を組み合わせて円を模った沓脱石。ごく稀に見かけるのですが、京都だと南禅寺界隈『桜鶴苑』(看松居)に例がある。看松居は茶人・木津聿斎(木津宗詮)と作庭家・七代目小川治兵衛(植治)が関わっている造形。直指庵の建築やお庭に関わったクリエイターは不明ですが、近い時代の茶人や造園家が関わっていたのかも。

(C)二河白道の庭
本堂の脇にある枯山水庭園。その枯山水と並ぶ池泉には初夏には天然記念物のモリアオガエルが卵をつけるとか。

(D)阿弥陀堂庭園
本堂から少し離れた場所にあるのは、また変わった形の茅葺屋根の玄関を持つ「阿弥陀堂」。農家・古民家のようなこちらの建築はおおよそ40年前、昭和時代後期に整えられ、その前に広がる枯山水庭園も同時期に前住職により作庭されたもの。(以前は秋の特別拝観の際に内部も公開されていたそうですが、2024年現在は非公開。)

一般の拝観者が見られるのは秋の特別公開時のみの直指庵ですが、春には椿や桜にシャクナゲ、初夏にはアジサイなど四季の花々が楽しめるそう。いつか新緑の季節の公開や、阿弥陀堂の再公開などが行われたらまた訪れたいな――まずはこの格別な紅葉の寺院に訪れて。

(2024年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR嵯峨野線 嵯峨嵐山駅より徒歩30分弱
嵯峨嵐山駅・京都市内より路線バス91番「大覚寺」バス停下車 徒歩15分

〒616-8441 京都府京都市右京区北嵯峨北ノ段町3 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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