国の重要伝統的建造物群保存地区・出水麓武家屋敷群に残る、昭和期に建てられた屋敷と庭園。
出水麓武家屋敷 三原邸庭園について
【屋敷は土日のみ公開】
「三原邸」(みはらてい)は国の重要伝統的建造物群保存地区である出水麓武家屋敷群の公開武家屋敷の一つ。三原家も江戸期からこの地で暮らしていた武家で、現在の建築は昭和初期に建てられたお屋敷とのこと。昭和の建物と言っても、現代の建築と言うよりは純和風の意匠が印象的。屋敷は土日のみ公開され、サイトによるとレンタルスペースとしての利用も可能。
三原邸もあまり情報がなく…庭園も屋敷と同様に比較的新しいものかもしれませんが、江戸時代から残る樹木もある――と案内してくださった方がおっしゃられておりました。三原邸の前の趣がある通りは「三原小路」と言います。
・・・・・・・・
江戸時代、薩摩藩は「外城制」という制度により多くの武士を鹿児島の城下町ではなく薩摩藩領内の各地に住まわせ、各地の城の麓に小さな城下町のような武家集落を形成させていました。その数は100以上に及んだとか。
それらの集落を「麓(ふもと)」と呼ぶようになり、現在では知覧麓、志布志麓の庭園群が国指定名勝に、知覧麓、入来麓、そしてこの出水麓は武家集落の雰囲気を色濃く残すことから重伝建に選定されています。
中でも「出水麓」(いずみふもと)は肥後国と隣接しているため最も古く最大規模をほこるとのこと。知覧麓や志布志麓に庭園群があるのだから、他の麓にも庭園群があってもおかしくないはず――そんな思いで初めて出水麓へ。
期待通り出水麓の武家屋敷にも「庭園」空間が残っていましたが、出水麓の庭園は知覧や志布志ほどの芸術性は無いかもしれません。その背景として、肥後国との国境にある出水麓は歴史上激戦区であり武家屋敷やその庭園にもより武道や戦略上の意味が込められていたから、と説明を受けました。より戦闘に備える為に実用的に造られた庭――というのもまた興味深い。
(2018年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)