2023年に長野県宝に。明治天皇、皇女和宮、大名も訪れ宿泊したお屋敷と、瀟洒な書院建築から眺める諏訪大社下社秋宮の森が借景の“中山道随一の名庭園”。
本陣岩波家庭園について
「本陣岩波家」(ほんじんいわなみけ)は温泉地・下諏訪の『諏訪大社下社秋宮』の並びにある江戸時代から残るお屋敷。皇女和宮、明治天皇といった要人が訪れたお座敷が残り、その庭園はかつてぴあ誌が出版した「日本庭園100選」にも選定された“中山道随一の名庭園”。以前は「下諏訪宿本陣遺構」の指定名で下諏訪町指定史跡でしたが、2023年に晴れて長野県宝に指定されました。
2023年夏に約6年ぶりに訪れたのでその際の写真を交え紹介。
温泉地として知られ、また中山道六十九次の29番目の宿場町かつ甲州街道の終点にあたる宿場町だった交通の要衝「下諏訪宿」。下諏訪駅から徒歩10分程、諏訪大社下社秋宮の門前は旅籠が立ち並んだ往時の雰囲気を残す町並みが残ります。
そんな下諏訪宿で「本陣」役をつとめたのが岩波家。現在は28代目の若いご当主が切り盛りされていますが、その歴史は古く鎌倉時代にさかのぼる。江戸時代には譜代大名となった小笠原家(明石藩・小倉藩など)から派生した武家がルーツで、江戸時代はじめに下諏訪に移住するとともに武士から宿場町の「本陣問屋役」に転身。
そんな交通の要衝の本陣。先述の皇女和宮、明治天皇といった皇族の宿泊・休憩所となったほか、大名が宿泊した際に掲げる「関札」は400枚以上所有。その中には徳川御三家、井伊家などそうそうたる大大名の名もあるそうで、当時の本陣の格式が感じられます。またその他にも当時の要人が使用/残していった調度品など歴史的史料を残します。
現在残るお屋敷のうち見学のメインとなる主屋座敷“王座の間”が1801年(享和元年)の建築。最初にくぐる表門は更にそれ以前の江戸時代中期、そのほか複数の門や蔵、庭園が江戸時代から残るもので長野県宝の指定範囲にはそれらすべて(9棟の建築+庭園)が含まれます。(見学可能なものはそのうち一部)
そしてその数寄屋風書院造のお座敷からの庭園の眺めが素晴らしい…。軒を支える柱を隅木受け柱のみとすることで、景色を遮るものが少なく、庭と建築が一体となった“庭屋一如”な池泉鑑賞式庭園。
心の字を描いた心字池の中には鯉が思い思いに泳ぎ、中心部の立派な泉水石組には諏訪大社秋宮の南を流れる承知川から引かれた滝が今も流れ落ちる。全国から集めた600の庭石による飛び石や護岸石、そして築山には古いツツジ、サツキの刈り込みが植って春には花を咲かせ庭園を彩ります。もちろん秋の紅葉も!
お座敷からの“屏風のように切り取った”姿も美しいけれど、今回庭園の飛び石を歩かせていただいて気づいたのは、建物の外に出ると諏訪大社秋宮奥にそびえる本陣山がダイナミックな借景になっていること!更にスケールの大きい庭園だったということが伝わってくる。ちなみに隣接する『聴泉閣かめや』の庭園は元は同じ一つの庭園だったそう。実際、現在も塀があるだけで山自体は繋がっている。これらが一つのお屋敷・庭園…と本来の庭園の姿を想像してみても◎。
中山道/宿場町の専門家からは「中山道69次の宿場・本陣で他にこれ程の書院建築/庭園はない…」と評される本陣岩波家。その専門家は“建築も庭園も京風、京都の職人が関わっている”と推定しているけれど、個人的に雰囲気が似ているなあと感じるのは石川・能登の『平家庭園』。こちらも京都の御用庭師が地方で作庭したと伝わる庭園。
岩波家では見学以外にも貸切で撮影会/研修会/その他プライベートで利用することが可能で、諏訪温泉郷を利用されるVIPが貸し切って利用されることもあるのだとか。ぜひその空間を堪能してみて。
(2017年5月、2023年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)