宝寿院庭園Hojuin Temple Garden, Ichikawamisato, Yamanashi

夢窓疎石(夢窓国師)が幼少期から修行時代を過ごし、この地に眠る母の為に作庭した鎌倉時代の須弥山式庭園。

庭園ギャラリーGarden Photo Gallery

宝寿院庭園について

「金剛山 宝寿院」(こんごうさん ほうじゅいん)は奈良時代の初期、735年に創建されたという古刹。境内には京都『天龍寺庭園』『西芳寺庭園』など世界文化遺産の庭園を手掛けた夢窓疎石による作庭と伝わる庭園が残ります。

ちなみにこちらの庭園は山梨県甲府市のVivitBaseさんのサイトに
『実は世界的な庭園クリエイターが造った!? この秋行きたい、山梨県の庭園』
といった記事で紹介させていただきました。自分のサイトに載せるのは冬になっちゃったけど…(笑)境内の自由に拝観出来る場所にその庭園はあるので、雪景色なんかも美しいかも?

同じく夢窓疎石により作庭されたと伝わる庭園の残る身延山の『覚林坊庭園』とともに2019年9月に初めて訪れました!ちなみに山梨県では“夢窓疎石”よりも“夢窓国師”と記述されていることが多い。

甲府駅から35分。JR身延線・市川本町駅を降りて、踏切を渡ってすぐの高台に「宝寿院」はあります。
この地には平安〜鎌倉時代には行基菩薩が開いた『平塩寺』という天台宗の大寺院があったそう。宝寿院はその中の子院?・西塔院を前身としています。その後桃山時代に高野山真言宗に改宗し、現在の寺名となります。境内に高野山のゆるキャラ・こうやくんのパネルが点在しているのはそのため。こうやくんかわいいよこうやくん。(この夏高野山にも行ったばかりだったし…)

そして夢窓疎石とこのお寺の縁はだいぶ深い。夢窓疎石が幼少の頃に一家で伊勢国よりこの地に移りました。9歳の時に平塩寺で出家し18歳までこの地で修行を積まれたそう。
その後甲斐国から奈良に出て修行を積み、31歳の時にこの地に戻り平塩寺に母の供養のための庭園を作庭。ご住職によると夢窓疎石の母の墓所が宝寿院から徒歩10分程度の場所に残るそうで――その徒歩10分の分の広さを当時の平塩寺がほこっていたと思うとその広さがわかる。

夢窓疎石の作と伝わる須弥山式の庭園は現在の本堂向かって右手の斜面に沿って残ります。京都で「夢窓国師」として活躍するのは晩年のことであり、31歳の時に手掛けたというこの庭園は塩山の『恵林寺庭園』よりも早く最初期の作品の一つ。時代もまだ室町時代ではなく鎌倉時代。
後年に多少の手は入っているかもしれないけれど、複数の滝の流れが石組によって表現されている迫力ある(恵林寺との類似性…を個人的には感じる)庭園。ツツジやサツキが多く配されているので(これは覚林坊や安楽寺あたりと類似)、晩春にはきれいなのだろうな〜。

なお宝壽院の伽藍は江戸時代後期、1843年に火災により焼失。現在のように通路からモロに見えるというのは違和感があるので、以前は違う向きで本堂が建っていたのかなあと。また昔は庭園上部の高木はもっと低かったはずなので、その先に富士山が眺められたのかも…?なんて想像。なお庭園上部のアララギ・コノテガシワは山梨県指定の天然記念物になっています。

その他、境内には夢窓疎石が手植えしたと伝わるシダレザクラ…の六代目も。現在のものも樹齢200年と言われ、桜の名所として春には多くの方が訪れるのだとか。『恵林寺庭園』も春には枝垂れ桜がとても印象的だし、『天龍寺』もそうですね。それらが疎石の時代に植えられたものかはさておき――夢窓疎石の世界観の中には幽艶的な枝垂れ桜があったのかなあなんて。

高台からの甲府盆地の町並み・山並みもとても好き。市川三郷町はかつて甲斐から駿河まで向かう“甲駿街道”の宿場町として栄え、今回初めて歩きましたが多少ながらその面影を感じるしレトロな建物も点在。庭園がありそうな古民家も…次回訪れる際には街歩きもちゃんとしたい!

(2019年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR身延線 市川本町駅より徒歩2分

〒409-3601 山梨県西八代郡市川三郷町市川大門5711 MAP