一松邸(旧一松定吉邸)庭園

Hitotsumatsu-tei Garden, Kitsuki, Oita

昭和時代に大臣を歴任した政治家・一松定吉が“豊後の小京都”重伝建地区・杵築の城下町に残した近代和風建築。杵築城/別府湾を一望する眺めが絶景のお庭も。

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一松邸(旧一松定吉邸)庭園について

「一松邸」(ひとつまつてい)は“豊後の小京都”大分県杵築市の高台部にある近代和風建築。厚生大臣/建設大臣(初代)を歴任した政治家で、最初の杵築市名誉市民となった政治家・一松定吉が昭和時代初期に建立したもので、邸宅の前には『杵築城』や別府湾(守江湾)の絶景と枯山水庭園が広がります。

2017年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された杵築の城下町。その地区の指定名が「杵築市北台南台」となっている通り、中央の谷(メインストリート)の北・南に位置する台地に武家屋敷街が形成され、それぞれに古い町並みを残す独特の城下町となっています。

大分県指定文化財の『大原邸』を筆頭に北台・南台ともに観光向けに公開されている武家屋敷が点在。この一松邸はそれよりは新しい近代の建築ではありますが、杵築ゆかりの偉人の邸宅として一般公開されています。

「一松家」は江戸時代中期〜後期にかけての一松家の当主(一松庄七/一松常右衛門/一松忠造)宛の目録から、杵築藩の剣術・槍術の指南役だったと推測されている家柄。
この邸宅の施主・一松定吉は杵築ではなく現・豊後高田市に生まれ、20代半ばで一松家に養子に。明治時代の半ばに東京へと転居、明治〜大正〜昭和時代と移り変わる中で教師〜検事〜弁護士〜政治家へと転身。吉田茂内閣などで国務大臣、逓信大臣、厚生大臣、建設大臣(初代)と大臣を歴任しました。

そんな一松定吉が杵築の本邸として昭和2年〜4年に掛けて建立したのがこの「一松邸」。そんな近代和風建築らしく、内部の障子ガラス、富士山のようなモチーフが描かれた欄間、格天井など、大工さん・職人さんの腕が光る意匠が数多く見られる、粋な数寄屋風建築となっています。

定吉の死後、昭和32年には一松家から杵築市へと寄贈され『一松会館』の名で市民向けに開放されていたそうですが、杵築市庁舎の移転に伴って2000年(平成12年)に『きつき城下町資料館』が隣接する現在地へと移築。

なので邸宅の前にある枯山水のお庭自体は新しいものなのですが——その白壁の景観は「昔からこの場所にある」かのような景観だし、何よりその先の別府湾(守江湾)や杵築城を借景として取り入れた姿が絶景!(その景色を見せるための、高さを抑えた枯山水&白壁)
杵築観光の際にはぜひ足を伸ばしてみて。

(2015年11月、2023年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR日豊本線 杵築駅より約4.5km(駅にレンタサイクルあり)
JR杵築駅・大分空港より路線バス「臥温」バス停下車 徒歩10分

〒873-0002 大分県杵築市南杵築193-1 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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