普賢寺庭園“雪舟庭”

Fugenji Temple Garden, Hikari, Yamaguchi

水墨画家・雪舟の作庭と伝わる、庭園の歴史上価値のある初期の枯山水庭園。長州藩主・毛利家ゆかりの赤門やソテツも。山口県指定名勝。

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普賢寺庭園(雪舟庭)について

「峨嵋山 普賢寺」(ふげんじ)は古くから風待ち港/潮待ち港として栄えた港町・山口県光市室積に平安時代に創建した臨済宗建仁寺派の寺院。水墨画で有名な室町時代の画僧・雪舟の作庭と伝わる枯山水庭園があります。山口県指定名勝。

国指定名勝にもなっている雪舟の代表作『常栄寺庭園』(山口市)とも並び称される普賢寺の“雪舟庭”…その存在は庭園を巡り始めた初期には認識した記憶があるし、(期間限定とかでなく)常時公開の庭園なのだけど。
光駅で途中下車→バスに乗り継いで室積へ…という行程が手間だなと思ってしまいなかなか訪れずにいた…2022年7月に初めて訪れました!あ、室積行きのバスは案外本数が多かった。

古くからの天然の良港として、そして江戸時代には長州藩の御米売の拠点として、また北前船の停泊する港として栄えた室積の街並み。現在もその面影を感じるレトロな街並みが残ります(江戸時代〜近代の頃はもっともっと人口が多く、遊郭もあったとか)。

普賢寺は平安時代の1006年(寛弘3年)に播磨国出身の性空上人により天台宗の寺院として創建。
現在見られる大きな山門(仁王門)や普賢堂は長州藩主・毛利家の祈願所となった江戸時代に建立されたものですが、仁王門(1798年・寛政10年建立)から真っ直ぐ後ろを振り返ると正面にかつての波止場と海。仁王門から直線へ進むとご本尊がまつられた“普賢堂”。そこへ至る大きな石橋など“海の菩薩”“海難守護のお寺”として有名だったのがよくわかる境内の姿を残します。

庭園はその参道から外れた所に建つ本堂(方丈)にあります。普賢寺がこの地に移った室町時代に画聖・雪舟により作庭されたと伝わる枯山水庭園。
なお“雪舟の作庭”というのは伝承でそれを示す史料はないそうですが、寺宝として雪舟の山水画や雪舟一派の雲谷等顔・雲谷等直の直筆画を残すそうなので繋がりがあったのはきっと確か。

本堂から南方向に眺めて、手前に池に見立てた苔庭と礼拝石・船石、奥に自然石による三尊石を配して枯滝石組とした枯山水庭園。その奥を低いマキの生垣で囲っているのもこの庭園の一つのデザイン性。

決して派手さはなく…、(他の雪舟庭園と比べても)あまり“キャッチーな日本庭園”ではないけれど、世界遺産の『龍安寺石庭』『大徳寺 龍源院』の“竜吟庭”など、室町時代以降に京都の禅寺で流行ってゆく“シンプルな枯山水庭園”と同時代・同作風という意味でとても貴重な庭園。

なお本来は山号でもある峨嵋山を借景としているそうですが、現在は庭園を囲むシイやクスの巨木でそれを見ることはできません。
また庭園の一角にあるソテツも当初からのものではなく、江戸時代に毛利家がどこか南国の藩主から貰い受けたものだとか。現在では開かずの門になっている藩主のための“赤門”などなど、毛利家による痕跡もいろいろと。

そのほか境内には平安時代に後白河法皇に仕えた平康頼に関する石碑(平判官康頼の碑)も。京都・鹿ケ谷山荘で藤原成親・西光・俊寛らとともに平家打倒の謀議をおこない(鹿ケ谷の陰謀)、それが密告されたことで島流しとなった平康頼。その折にこの室積へ立ち寄った際に詠んだ言葉が残されています。庭園のみならず、お寺と室積の歴史にもふれてみて。

(2022年7月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR山陽本線 光駅より路線バス「室積公園口」バス停下車 徒歩1分
JR山陽本線 柳井駅より路線バス「室積」バス停下車 徒歩15分

〒743-0007 山口県光市室積8丁目6-1 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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