朝ドラの舞台にも。岸和田城の御茶屋跡に“寺田財閥”の別邸として造営された近代和風建築と茶室/庭園。茶室設計は木津聿斎(木津宗詮)、庭園は本位政五郎作庭。
五風荘庭園について
「五風荘」(ごふうそう)は『岸和田城』からすぐ近くにあるお屋敷と庭園。昭和時代初期に当地の実業家“寺田財閥”の別邸として造営されたもので、その建築(門や茶室も含む一式)が岸和田市指定有形文化財、日本庭園が『五風荘庭園』として岸和田市指定名勝。現在その近代和風建築は和食レストラン「岸和田市五風荘」として活用されています。(なお庭園は自由に散策可能)
2023年2月に久々に訪れたのでその際の写真を更新。なお初めて訪問した時は「がんこフードサービス」による文化財級の邸宅・庭園を活用した“お屋敷”シリーズの店舗でしたが、2019年度から地元企業・岸和田グランドホールが指定管理者となっています。
岸和田城の天守閣と目と鼻の先にある「五風荘」。その歴史をさかのぼると江戸時代には岸和田城の二の曲輪に設けられた藩主の「新御茶屋」「薬草園」がある場所でした。
その跡地を取得した泉州/岸和田の資産家一家“寺田財閥”の出で岸和田市長も務めた寺田利吉の別邸として1929年(昭和4年)から造営がはじまったのがこの五風荘。なお当時の寺田財閥の事業の一つが紡績・織物。近代の岸和田の呉服店を舞台とした朝ドラ『カーネーション』の時代からそのまま残るスポットとしてロケ地にもなりました。
当初は「南木荘」と呼ばれたこのお屋敷。「南木」とは岸和田にゆかりある武将・楠木正成の“楠”の字をもじったもので、通常使われない表門の名も「南木門」。こちらは奈良・東大寺の塔頭から移された、五風荘の中で最も古い建造物。
約8000平方メートルの敷地内には母屋をはじめ、池泉庭園“瓢池”にせり出す茶室“山亭”、表千家“残月”を写した茶室“利庵・残月席”、それと並ぶ遠州流の茶室“利庵・八窓席”という3席の茶室から構成。
各種茶室の設計を手掛けたのは近代の関西/大阪の代表的な茶人のひとり・木津聿斎(三代目木津宗詮)。大阪府内では大阪市内の旧住友家本邸『慶沢園』や『四天王寺庭園』の庭園に関わっている人物。和歌山の『琴ノ浦 温山荘園』は国指定文化財(国指定名勝)にも選定。
3つの茶室のうち“山亭”は懸造+ガラスの開放的な広い窓+内部は数寄屋風…というモダンなデザインの茶室。
敷地の大部分を占める庭園は“瓢池”を中心とした池泉回遊式庭園。母屋の前にはかんたんな芝生の広場と池からはじまる川の流れ、そして庭園の奥は茶室を中心とした露地庭園があります。春~秋にかけては庭園に多く植えられたモミジが色づく自然風庭園。また築山の中にたたずむ十三重塔は鎌倉時代に作られ、かつて『安土城』に織田信長が持ち込んだという代物で、巡り巡って寺田利吉により購入されこの庭園に移されています。
作庭を手掛けたのは近代京都の庭師・本位政五郎。当時の京都の代表的な庭師・七代目小川治兵衛(植治)と比べて現在の知名度は劣るものの、当時は植治と並び称されていた庭師で、画家・山元春挙の旧邸『蘆花浅水荘』の庭園などを手掛けています。大きな鞍馬石の靴脱石や伽藍石など、ところどころ当時の京都の庭園と似た雰囲気を感じるのは作者に依るところが大きいかも。(木津聿斎はたびたび小川治兵衛とタッグを組んでいますが、この邸宅では本位政五郎とタッグを組んだという事例)
アヴァンギャルドな作風の『岸和田城庭園』と比べるとオーソドックスに感じる日本庭園だけれど、こちらも近代の京都/関西の庭園のキーパーソンによる空間。ぜひお食事とともに堪能して。
(2017年2月、2019年8月、2023年2月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)