洋館にカフェ“メゾン アンベ”もオープン!日本100名城“福山城”天守をのぞむ日本庭園と国登録有形文化財の近代建築。京都の名匠、数寄屋師・笛吹嘉一郎の茶室も。
福山市福寿会館庭園について
「福山市福寿会館」(ふくやまし・ふくじゅかいかん)は日本100名城『福山城』天守閣をのぞむ、福山城公園の一角に残る近代建築。昭和時代初期(戦前)に建てられた洋館・和館(本館)・南茶室・西茶室・西蔵・東蔵の6棟が国登録有形文化財で、このうち茶室を手掛けたのが、各地で文化財の茶室/和風建築を残している京都の数寄屋建築の匠・笛吹嘉一郎。そして日本庭園があります。
2021年にはその洋館を活用してカフェ『メゾン アンベ』(Maison Anbe)がオープン。洋館2階や和館は市民が対象の貸室として利用されていますが、利用予約がなければその近代和風建築の内部も見学できます。庭園は自由散策可。
江戸時代初期、1622年(元和8年)に初代福山藩主・水野勝成(水野忠重の子)によって築城され、幕末~明治維新まで水野氏、松平氏、阿部氏と譜代大名の居城として用いられた福山城(国指定史跡)。明治維新/廃藩置県後に廃城となり民間に払い下げられますが、後に本丸のみ当時の福山町の所有に戻り市民公園として開園。
太平洋戦争の福山大空襲により国宝だった天守・御湯殿は焼失。戦後の復興の過程で元の二の丸まで公園が拡張され、『ふくやま美術館』などが開館し現代へと至ります。福寿会館からも見える現在の天守閣は1966年(昭和41年)に再建されたもの。
福山城天守の北東部に位置する福寿会館は旧二の丸の一角、福山藩の御用米を納める石蔵があった場所に位置し、民間に払い下げられた後の1935年(昭和10年)~1937年(昭和12年)頃に海産物商で財を成した安部和助の別荘として完成。
先述通り福山城そのものは空襲の被害を受けましたが、福寿会館は幸運にも焼失を免れ、近代の別荘建築の姿を残します。
福山城を背後にのぞむ洋館も人気ですが、和館(本館)も唐破風屋根の玄関を持つ豪壮な和風建築。数寄屋風書院造りの21畳+14畳の大広間+広間は、庭園の眺望もかなり意識されていて広く開放的なガラス戸が素敵。洋館とは渡り廊下で繋がっています。
それらの建築の前に広がるのが池泉回遊式の日本庭園。この庭園はビューポイントがたくさん!まずは前述の大広間からの正面の眺望。借景には福山城天守をのぞむように設計されています。
そして庭園への導入は洋館の脇から、そして福山城天守閣前と2つの庭門があり、園路が(1)洋館~建物前の飛び石を辿っていくルート/(2)洋館~大きな築山上の四阿を経て南茶室“望城亭”の露地へと至るルート/(3)露地と池の間の“山道”をイメージしたような曲がりくねる道をゆくルートと、広さの割に複雑に入り組んでいて色んな視点で楽しむことができます。
この庭園は京都の作庭家・西村氏の指導により、建築よりも長い10年の歳月を費やし完成したもの。京都の西村さんという作庭家、過去に登場したことないので下の名前が気になる…。また、本館の一角にある「西茶室」と庭園の南部にある「南茶室」は同じく京都の名匠によるもの。各地に文化財の茶室/数寄屋建築を残す京都の数寄屋大工・笛吹嘉一郎の設計。
新幹線駅の駅チカで、庭園、洋館、和風建築、茶室…とここまで楽しめるスポットってなかなか稀有!ちょっとした途中下車ついでにも寄ってみて。
(2017年12月、2021年5月、2023年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)