細川三斎(細川忠興)が師・千利休の邸宅一部を移築し建立した寺院や茶室。庭園は江戸時代初期作庭の“楓の庭”。
大徳寺 高桐院について
「高桐院」(こうとういん)は京都の大寺院の一つ『大徳寺』の境内西部に位置する塔頭寺院で、のちに肥後細川藩の初代となる大名・細川忠興(細川三斎)が父・細川幽斎の菩提寺として1601~1602年(慶長6~7年)頃に創建。その庭園は“楓の庭”と称され、参道ともども紅葉の名所として知られます。
2018年の台風被害から復旧し拝観を再開した2019年12月に初めて拝観。その時の写真を紹介します。(新緑の時期に再訪したいと思っているんだけどタイミングが合わず何度か閉まってて、ひとまず紅葉…)
開基となったのは細川忠興、開山の玉甫紹琮和尚は細川幽斎(細川藤孝)の弟という細川家ゆかりの寺院。境内には細川忠興とその夫人であり明智光秀の娘・細川ガラシャの墓所も残ります。
細川忠興(細川三斎)は茶人としては古田織部や蒲生氏郷らと並び千利休の7人の高弟“利休七哲”の一人に数えられました。その縁から高桐院の書院“意北軒”は秀吉によって罰せられた後の千利休の邸宅を移築し用いられていると言われ、墓所の石灯籠も利休が三斎に贈ったものだとか。
またその書院から続く茶室『松向軒』は1628年(寛永5年)に三斎によって造営(移築)されたもの。ちなみに三斎好みの茶室は熊本県熊本市の細川家の菩提寺&国指定史跡『泰勝寺跡』に再建・残されています。
客殿前に広がる苔と紅葉によるシンプルな“楓の庭”は江戸時代初期に作庭されたもので、竹藪も含めて自然の風景がとても良い。庭園の中央に配されている石灯籠は鎌倉時代のものとされます。
そして書院前には茶室“鳳来”へと向けた露地庭っぽい回遊式庭園があり、その中には加藤清正が朝鮮出兵から持ち帰り細川三斎に贈ったとされるつくばいや三斎ゆかりの井戸なども残ります。
南宋の画家・李唐によって描かれた国宝の「絹本墨画山水図」や、豊臣秀吉が開いた「北野大茶会」で展示された国指定重要文化財「絹本着色牡丹図」も所蔵。宝物展は毎年10月第2日曜日に開催。また青もみじの庭園も拝観しにいきたい。
(2019年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)