国の重要伝統的建造物群保存地区の町並み“大山町所子”散策の休憩にも。国登録有形文化財の屋敷に平成年代に作庭された枯山水庭園。
美甘邸庭園(美甘家住宅)について
「美甘家住宅」(みかもけじゅうたく)は国の重要伝統的建造物群保存地区の町並み『大山町所子』(所子伝統的建造物群保存地区)に建つ歴史的建造物。江戸時代〜明治時代に建築された主屋/表門/中門及び土塀/宝蔵/新蔵/倉庫/旧厩の7棟が国登録有形文化財。現役の住宅なので建築内部は非公開ですが、枯山水庭園が一般公開されています。
2022年春に初めて重伝建・大山町所子へ。鳥取や山陰、中国地方を代表する名峰、“伯耆富士”大山。そんな大山から日本海までの扇状地の上に形成された農村集落が所子。
集落を縦貫する通りは大山への参詣道(坊領道)で、道沿いには美甘家以外にも国指定重要文化財の『門脇家住宅』など文化財の古民家が建ち、集落の一角にある『賀茂神社』からは古く鎌倉時代にこの地が京都・下鴨神社の社領だった歴史も感じることができます。重伝建は日本遺産「地蔵信仰が育んだ日本最大の大山牛馬市」の構成文化財でもある。
重伝建地区の南部に位置する美甘家は古くから当地の有力者(土豪)だった家柄。戦国時代の当主・美甘与一右衛門は尼子氏と毛利氏の争いの中で、毛利家の使者として和議に赴くことに。しかし退出の際に尼子側に切り付けられ非業の死を遂げ、戦後に毛利軍・吉川元春により“美甘塚”が築かれました。
江戸時代には現在地に屋敷地をかまえ、初代の美甘弥左衛門は前述の『賀茂神社』の再興にも寄与。江戸時代中期、六代目美甘弥左衛門の時には鳥取藩から宗旨庄屋に命じられいわゆる“豪農”に。文化財となっている建築のうち主屋/倉庫/新蔵が江戸時代後期、その他は明治時代に建築されたもの。表門は豪農によくある長屋門ではなく四脚門なのが特徴的。
庭園は明治時代初期の家相図にも描かれていますが、現在見られる枯山水庭園は造園業を営む現在のご当主・美甘晋爾さんにより平成年代の2009年に新たに作庭されたもの。砂利で表された海の中に宝船が浮かび蓬莱山を目指すこの庭園、その見所は富士山の噴火でできた溶岩石による石組。そしてイワヒバを苔のように敷いて流れを作っているのも特徴的な点。
個人的にはその飛び石の感じが“出雲流庭園”のような作風だなあ…と思ったのだけれど、当主ご本人とお話しした限りでは無自覚で(京都の庭園とは違うでしょう、とは自覚されていた)。すなわちこの作風は当地でも自然と伝わってきた作風?
少し前に取り上げた兵庫県・西宮の“阪神間モダニズム”『旧山本清邸』の庭園(元の施主は鳥取の根雨出身)で、鳥取県西部にも松平不昧の広めた文化の影響があったのかなあ…的なことを書いたけど、それはこの庭園を見たことも影響している。美甘家は建築に「松江市周辺に多いけど、所子には少ない」特徴があるそうなので、本当に元々松江の影響が入ってきてたのかもだけど。
鑑賞者が休憩できるようにベンチも設けられています。登山される人もぜひ街歩きを楽しんで、この庭園で一休みしてみて。
(2022年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)