奈良時代創建、慈覚大師円仁が再興した天台宗別格本山寺院は“つつじ寺”と親しまれるツツジ/紅葉の名所。“足立美術館”庭園作者・中根金作による庭園も!
大興善寺庭園“契園”について
「大興善寺」(だいこうぜんじ)は佐賀県の最北西部に位置する基山町にある天台宗の別格本山寺院。正式名は「小松山 無量寿院 大興善寺」。ツツジと紅葉の名所のお寺として知られ、“つつじ寺”の愛称で地元では親しまれています。境内の一角には『足立美術館』日本庭園の作者として知られる昭和〜平成を代表する作庭家・中根金作が作庭した庭園も。
JR鹿児島本線の博多〜鳥栖〜久留米間を行動するとよくポスターを見かける「大興善寺」のツツジと紅葉。2024年、紅葉が見頃の時期に合わせ初めて訪れました。
その歴史について。創建は奈良時代と古く、聖武天皇の勅願を受け717年(養老元年)当時を代表する高僧・行基により創建されたと伝わります。当初の名は「観世音寺」。その行基の作と伝わる十一面観世音菩薩像(秘仏)がご本尊。他にも国指定重要文化財の多聞天像・廣目天像を有し、宝物殿(国宝殿)で鑑賞できます。
一度は火災で焼失しますが、平安時代の847年(承和14年)、天台宗の三代目座主・慈覚大師円仁が遣唐使から戻られた際にこの地に立ち寄り再興につとめます。この際に唐の名刹にちなんで「大興善寺」へと改称されました。
鎌倉時代〜南北朝時代に再び戦乱などで荒廃しますが、戦国時代に武将・筑紫惟門により再興。江戸時代にはこの地は対馬藩の飛地だったことから対馬藩主・宗家により援助され、現在まで残る茅葺き屋根の本堂など伽藍が整備されたほか、宗氏の代々ををまつる「宗家御霊堂」等も残ります。
明治維新が起こると、廃仏毀釈によって再び荒廃。一時は無住のお寺になりますが、19歳で島原のお寺から大興善寺を継いだ若き玉岡誓恩和尚により再興。大興善寺のキービジュアルとしても登場する正面の石段が整えられたのもこの頃。そして大正時代に裏山(契山)の雑木林を開拓し、現在ツツジや紅葉の名所となった『契園』が作庭されました。
佐賀と福岡の県境にまたがる「契山」。その中腹の7万5千平方メートルの中に現在ではヒラドツツジ、クルメツツジを中心に約30種類5万本ものツツジが植えられているそう!特に契園内の「一目一万本」というエリアでは春にはその名の通りのツツジ群を見ることができます。そして秋には、元々この山に自生していた大きなモミジ/カエデがオレンジ〜赤に染まる絶景が!
紅葉の風景だけでも素晴らしいし、春にはツツジの花々だけで美しいのですが、実は境内には現代の名作庭家・中根金作による庭園が2箇所あります。武雄市にある名庭園『慧洲園』とほぼ同時期の1980年(昭和55年)作庭。
一つ目が「契園」内の入口から比較的近い場所、園内マップにも「日本庭園」と記されている池泉庭園。氏の残した数々の名庭園と比べるとこじんまりとした池泉ではありますが、同時に建立された新客殿(フォトコンテスト入選作品展示場)をアイキャッチに、背後のモミジやツツジの景色が美しい庭園。新客殿から続く長い“流れ”と滝にも注目!
もう一つが本堂の並びにある庫裡・寺務所のお庭。手前に池泉庭園、そして庫裡のお座敷・書院前に苔むした京都風のお庭が続く。建物側から眺めることはできないけれど、建物側から見るときっと庭園の借景には南側の山々がスケール大きく広がっているはず…。
立地柄、日本人だけではなく東アジアからの観光客の姿もかなり多かった大興善寺。「知らなかった」という日本人の方にもぜひ訪れて欲しい名刹…。普段は公共交通機関はありませんが、自家用車ならば鳥栖プレミアムアウトレットからもすぐ。つつじ・紅葉のシーズンにはJR基山駅より臨時バスが運行します。この時期に九州旅行をされる方はぜひ立ち寄ってみて。
(2024年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR鹿児島本線 基山駅より約4km(駅前にシェアサイクルあり)
※つつじ祭り・もみじ祭り期間は基山駅より臨時バスあり
〒841-0203 佐賀県三養基郡基山町園部3628 MAP