浄土真宗宗祖・親鸞も訪れた“親鸞聖人法難の遺跡”に残る、池泉回遊式庭園”裏見無しの庭”。石岡市指定名勝。
大覚寺庭園について
「板敷山 大覚寺」(だいかくじ)は浄土真宗の宗祖・親鸞聖人も訪れ“親鸞聖人法難の遺跡”として伝わる寺院。京都の『天龍寺庭園』、『桂離宮』を模して江戸時代に作庭されたと伝わる池泉回遊式庭園“裏見無しの庭”は石岡市指定名勝となっています。
個人的に関東を離れる前に無性に行きたくなった庭園の一つ。「素晴らしい」と聞いていたというより、茨城県の市町村レベルでの文化財庭園ってあまり無くって…数少ないそれがここだったという理由。
アクセスがまた微妙なのが行きたい気持ちをより掻き立てて…常磐線の羽鳥駅から路線バスが出ているのですが、約30分間乗った先の路線の終点で石岡市の最北端(桜川市との境)。最寄駅は水戸線の駅なんだけど距離にして6kmあるので歩いて行くのは不可能。どちらでも行きづらい…。
結果、笠間でレンタサイクルして片道14km走ってこのお寺に。一体なぜ市の名勝にこんなに必死になってるのかと自転車を漕ぎながら思ったりしつつ…。
大覚寺の創建は鎌倉時代。後鳥羽上皇の第3皇子・正懐親王は比叡山で出家し、周観大覚と名乗り東国を行脚。その折にこの板敷山の南麓に草庵を結び「大覚 阿弥陀堂」と名付けたのがお寺のはじまりとされます。
その頃親鸞も東国に布教に訪れ、周観大覚は大覚寺から程近く(…って言っても近くないけど笠間との中間点ぐらいにある)『稲田御坊』で親鸞聖人と出会い、“善性房鸞英”という名で親鸞の法弟にとなりました。
そんな縁から親鸞自身も板敷山には訪れました。この地が“親鸞聖人法難の遺跡”と言われるのは当地の山伏・弁円がアンチ親鸞で彼の命を狙ったため。結果的には弁円が親鸞に帰依することになり、更にはその後大覚寺の建立にも携わったそう。茨城県指定有形文化財の「弥陀名号」は法然上人の書を親鸞聖人の第一夫人・恵信尼が刺繍されたものだそうで、本堂には親鸞聖人の像が安置されています。
そんな由緒あるお寺なので、現代においてはアクセスは良くないけど堂宇も立派だし山門から本堂までの距離も境内が広かったことを感じさせる。
書院の前に広がるのが池泉回遊式庭園“裏見なしの庭”。これは回遊式庭園として「どの方向から見ても美しい」ということで名付けられた説と――『一度は親鸞の命を狙った弁円が、結果的に親鸞に帰依した』ことから“恨み無し”と言われたという説も。桂離宮を模した――と言われてもピンと来ないけど、『天龍寺に影響を受けた』のは分からないでもない。ミニ曹源池庭園。
茨城県の江戸時代以前の庭園と言えばなんと言っても『偕楽園』。水戸徳川家も存在感はあったはずだし、神社仏閣で言えば笠間稲荷や鹿島神宮、香取神宮などがあるけれど、古いお寺の庭園って情報がないんですよね…。
その中でここは貴重な存在であり、天龍寺や桂離宮に影響を受けた――と評される=京の庭園文化が入ってきていたという話は興味深い。他にも茨城の寺院の古庭園が無いか、今後も調べて訪れたい。
(2019年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)