京都の観月の名所。平安時代初期に嵯峨天皇の離宮“嵯峨院”に作庭された“日本最古の人工の庭池”と滝石組。国指定名勝。
大覚寺大沢池附名古曽滝跡について
「大覚寺大沢池」(だいかくじおおさわいけ)は平安時代初期の天皇・嵯峨天皇が営んだ離宮『嵯峨院』の庭園として作庭されたと伝わる“日本最古の庭池”の一つ。庭園の一角にある“名古曽滝跡”(なこそのたきあと)と共に国指定名勝で、文化財としての名称は“大覚寺大沢池附名古曽滝跡”。京都の代表的な観月の場としても知られます。
>>皇室ゆかりの寺院『旧嵯峨御所 大覚寺』の重要文化財の建造物や石庭についてはこちら。
『平安京』に遷都した桓武天皇から数えて三代目、第52代天皇の嵯峨天皇は都の郊外・嵯峨野の地を好み、譲位して上皇になった後の833年(天長10年)には御所を新築し太皇太后と共に移り住みました。
当時の建造物は現存しないけれど、平安時代から残る遺構が現在の大覚寺の境内の東側に位置する大沢池と名古曽滝跡。
“大沢池”は周囲の長さが1km以上に及ぶ“日本最古の人工の池庭”で、嵯峨天皇が造営した離宮・嵯峨院の苑池の一部とされています。中国の洞庭湖を模して作庭されたことから“庭湖”とも呼ばれました。
その広い池の北東部分には“天神島”“菊ヶ島”という2つの中の島と“庭湖石”という岩が配されています。この“二島一石”の組合せが“華道 嵯峨御流”(嵯峨御流いけばな)の基盤となっているそう。
“嵯峨御流の庭園”を見る機会はあまり無いけれど、静岡県に『太田道灌築造嵯峨流名園』という庭園が残っています。なお“庭湖石”を配したのは当時の貴族・巨勢金岡。
その二島一石の北部分に、池へと通じる流れ(遣水。現在は池には通じていない)と国指定名勝の一部“名古曽滝跡”の滝石組があります。こちらも元は嵯峨院の“滝殿庭園”に設けられたもので、平安時代の書物『今昔物語』では当時の貴族・百済川成による作庭と記されました。現在の姿は平成年代の奈良文化財研究所による発掘調査を元に復元されたもの。(…今回訪れた時にはイノシシにボコボコに掘られてたのがちょっと心配だった…)
江戸~現代の庭園のような迫力ある滝の流れが見られるわけではないけれど、近くでは滝の水音を楽しむことができます。また小倉百人一首で平安時代の歌人・藤原公任は名古曽滝について下記のように謡いました。
《滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ》
大沢池の西部には船着場が残り、嵯峨天皇が大沢池に船を浮かべ文化人・貴族と始めたという『観月の夕べ』は現代においても例年9月の中秋の名月の頃に開催され、京都の代表的な観月の場として人気(江戸時代には松尾芭蕉も訪れたとか)。
あとだだっ広いので真夏に訪れるのは大変なんだけれど、真夏には池中に多くの花を咲かせ、青々とした小倉山~嵐山の借景とともに楽しむことができます。春には桜も。四季折々の季節に散策してみて。入場口すぐの茶室“望雲亭”ではお茶会や月釜もあるそうなので、そちらも…。
(2014年7月、2019年8月、2022年3月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR山陰本線 嵯峨嵐山駅より徒歩約15分
嵐電嵐山線 嵐山駅より徒歩20分
阪急嵐山線 嵐山駅より徒歩30分
最寄バス停は「大覚寺」バス停下車すぐ
〒616-8411 京都府京都市右京区嵯峨大沢町4 MAP