肥後熊本藩3代目藩主・細川綱利によって江戸時代中期に造営された御茶屋の池泉庭園。
釣耕園について
「釣耕園」(ちょうこうえん)は江戸時代中期に造られた肥後熊本藩主・細川家の御茶屋の庭園。平成の名水百選「金峰山湧水群」の庭園群の一つで、隣接する『叢桂園』とも水源が繋がっています。
熊本市には『水前寺成趣園』という国内随一の素晴らしい大名庭園がありますが、それ以外の日本庭園の情報ってあまり無いなあと思っていて。細川家は江戸の下屋敷にも素晴らしい庭園を残す程なのだから、熊本にももっと庭園が残っていても良いはず――と思っていて、その中で調べて足を運んだのがすぐ近隣の『叢桂園』(江戸時代中期の庭園)とこの庭園。
元禄年間、肥後熊本藩3代目藩主・細川綱利によってこの地に御茶屋を造営。その後この地を重臣の続弾右衛門英常に与え、それ以来続家がこの地を管理し続けているそう(珍しい苗字)。「釣耕園」の名は6代目藩主・細川重賢の時代の熊本藩三家老・米田波門(米田松洞)が「耕雲釣月」と詠ったことが由来になっています。ちなみに細川綱利が造った御茶屋の遺構としては北区の『八景水谷公園』もそれに当たります。
現在も残る池泉式庭園の特徴は池泉の中まで渡り石が伸びているのが特徴。現在も個人の所有であり、庭園が「すごくきれいな状態」とは言えないけど、規模としてはなかなか大きい庭園なので生い茂っている樹木がすっきりしたらより広い回遊式庭園だと感じるかも…。
2回とも冬場に訪れたので見頃の樹木は見られなかったけど、池泉の中の島に紅葉の落ち葉が多く残っていたので――紅葉の時期はきれいなのかもなあ。また晩春にはシャクナゲが花を咲かせることで知られるそう。
熊本地震のあった2016年に初めて訪れた際には庭園内に倒木などもありました。2年ぶりに訪れたらその倒木は撤去されており、前回は見られなかった石灯籠もありました。少しずつゆっくりでも維持・管理されていることに感謝の念を抱きつつ。昭和前半に建てられたという主屋も外見は地震被害をさほど受けていないように見えるし(中は被害があるだろうけど…)、近代和風建築――といった見た目は価値がありそうなので――いつか観光資源として整備・公開されたらいいなあ、なんて思いながら。また訪れます!
(2016年12月、2018年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)