かの大洋ホエールズオーナーも住んだ、幕末の毛利家家老・西運長の屋敷に作庭された城下町長府の代表的日本庭園。
長府庭園について
「長府庭園」(ちょうふていえん)はかの毛利家が治めた城下町・長府を代表する庭園。幕末に長府毛利家の家老格だった西運長の屋敷跡という1万坪の広大な敷地に庭園、書院造りの屋敷、茶室などがあります。
2019年秋、5年半ぶりに下関を訪れました!電車で通過したことはその間もあったけど観光で訪れたのはそれ以来。
前回訪れた時に観光パンフレットでこの庭園のことと城下町長府のことを知った。その時は下関駅から遠かったのでプライオリティが高くなく、関門トンネルまでしか行かなかったんだけど…今回の山口旅行では長府が最も行きたかった場所の一つってことで初訪問!城下町長府の街並みも本当に素敵だったんだけど、それは『長府毛利邸』の方で…。
この長府庭園は城下町の中心からは1kmぐらい離れています。目の前に下関市立美術館があり文化ゾーンみたいな感じ。長府庭園内に残る茶室は市民茶室として、3つの蔵も観光資料コーナーや美術ギャラリーとして活用されています。
大正時代〜昭和初期頃に大洋漁業(現・マルハニチロ)の創業者・中部幾次郎が自邸として購入。その後ニュージーランド軍司令官の宿舎なども経て下関市の所有となったのは平成に入ってから(開園は平成5年の1993年)。
なのでどの程度江戸時代後期の面影が残っているかははっきりしませんが(2階建の主屋も近代の邸宅という感じがする)、旧藩主の長府毛利邸よりも広大な――大名庭園のような池泉回遊式庭園が楽しめます。園内マップ上で「あずまや」とされている建物も、意匠が美しいし歴史的建造物な気がするんだけど詳細は不明…。
そんな大きな庭園を作れる程、西運長という人は主要な人物だったのか――という点で。幕末の一大事のひとつ「蛤御門の変」の火消しのために上京したり、三条実美が筑前に渡る際に尽力したりと幕末の動乱〜明治維新でキーになる動きをしていた人物だったそう。
また長府庭園は“孫文蓮”というハスが花を咲かせることでも知られているそうで、これは下関において海運業で財を成した田中隆に対して孫文(という中華民国の政治家・革命家)から贈られたもの。この田中隆さんの邸宅跡もGoogleマップに載っているのですが――三菱重工業の下関造船所所「長府苑」という施設内にあり非公開。こちらも大変広い庭園がある様子。
長府の街は城下町のイメージが全面に出ているけど、海運の街でもあったんだなあ。ちなみにかの大洋ホエールズも下関で球団が発足したとか。時代が違ったら下関のような地方都市にプロ野球球団があったのか…。次回訪れる時には広大な長府庭園だけでなく、他の公開古民家も調べてみたい!
(2019年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
下関駅・長府駅・新下関駅より路線バス「市立美術館前」バス停下車 徒歩3分
JR山陽本線 長府駅より約3.5km
〒752-0986 山口県下関市長府黒門東町8-11 MAP