巨大な国宝・山門が目印。浄土宗開祖・法然上人や江戸幕府将軍・徳川家康/徳川秀忠/徳川家光ゆかりの浄土宗総本山寺院。玉淵坊/量阿弥作庭の庭園が国指定名勝。
知恩院方丈庭園について
「知恩院」(ちおんいん)こと“華頂山 知恩教院大谷寺”は京都・東山の山すそに築かれた巨大な三門をはじめ複数の国宝建築を構える京都の大寺院の一つ。浄土宗開祖・法然上人が草庵を結んだことをルーツに持つ浄土宗の総本山であり、江戸時代には将軍・徳川家康が京都での菩提所として定め、徳川秀忠/徳川家光と徳川将軍三代により築かれた巨大な伽藍が残ります。
江戸時代初期の建造物で国指定重要文化財の建築:大方丈/小方丈を囲む形で回遊式庭園があり、2020年に『知恩院方丈庭園』の指定名で国指定文化財(国指定名勝)となりました。2023年に久々に拝観したので写真を追加して紹介。
その歴史について。平安時代末期の1175年(承安5年)、比叡山延暦寺を下りた法然が念仏の教えを広める拠点として東山の山内に「吉水草庵」を建立。その後、讃岐国への配流(流罪)を経て70代後半で京都に戻った法然。吉水草庵は荒廃していたものの、近くの「大谷禅房」に入り晩年を過ごし80歳の時にその最期を迎えました。
そんな「吉水草庵」「大谷禅房」があった場所にお堂/伽藍が整えられていったのが知恩院。鎌倉時代の1234年(文暦元年)に法然の弟子・源智が再興した際に、時の四条天皇から“知恩教院大谷寺”の寺名を賜りました。
次の大きな転機は江戸時代のはじめ。前述通り徳川家康をはじめとする徳川将軍家に信仰・保護され、巨大な国宝・山門は徳川秀忠の代(1621年)に建立。高台部のかつての「吉水草庵」のあったとされる場所に建つ国宝・御影堂(本堂)は徳川家光の代(1639年)の建立(再建)。
この御影堂の回廊を進んでいくと同じく徳川家光によって再建された大方丈/小方丈/唐門(国指定重要文化財)があり、建築内部は通常非公開(※例年特別拝観あり)ですが、通年で庭園を拝観することができます。
エル字型に並ぶ大方丈、小方丈とそれぞれから鑑賞されることを意図して、同じようにエル字型の大きな池泉を中心として、借景となっている東山の山に植わった自然の景観を楽しむことができる池泉回遊式庭園。作庭を手掛けたのは徳川家とも縁の深い大名茶人/作庭家:小堀遠州に師事した僧・玉淵坊と量阿弥と伝わります。
玉淵坊は庭園界/京都の歴史で小堀遠州ほど名前が挙がる機会はない存在ですが、他の国指定名勝庭園や『桂離宮』の作者としても名の挙がる隠れたキーパーソン。
その池泉の先、小方丈の東側にはタイプの異なる枯山水庭園“二十五菩薩の庭”が。知恩院所有の国宝『阿弥陀如来二十五菩薩来迎図』を表現したお庭で、低いサツキの刈込みは来迎雲を、庭石は阿弥陀如来と二十五菩薩を表しているそう。
順路に沿って庭園の更に高台部へと進むと更にもう一つの庭園“山亭庭園”があり、お庭の際には京都市内を一望することができます。「山亭」は霊元天皇の皇女・吉子内親王の御殿だった建物で、1759年(宝暦9年)に下賜されて知恩院境内に移築。その後境内の中で再移築され、こちらの庭園は江戸時代末期〜明治時代に作庭/改修されたものだそう。
また知恩院境内には『友禅苑』という庭園もあります(山門のすぐ隣)。こちらは方丈庭園と比べると新しい庭園ですが、またタイプの異なる開放的な庭園を散策することができます。合わせて拝観してみて!
(2018年11月、2023年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
京都市営地下鉄東西線 東山駅より徒歩8分
京阪本線 祇園四条駅より徒歩10分強
阪急京都線 京都河原町駅より徒歩15分弱
最寄りバス停は「知恩院前」バス停 徒歩5分
〒605-8686 京都府京都市東山区林下町400 MAP