館林市文化会館 日本庭園

Tatebayashi City Cultural Center Japanese Garden, Tatebayashi, Gunma

“徳川四天王”榊原康政や江戸幕府五代将軍・徳川綱吉らが城主とつとめた『館林城』の跡に昭和年代に作庭された、独特な作風の日本庭園。

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館林市文化会館(カルピスホール)日本庭園について

「館林市文化会館」(たてばやしぶんかかいかん)は群馬県館林市の文化会館。江戸時代には“徳川四天王”のひとり・榊原康政の他に江戸幕府五代将軍・徳川綱吉らが城主となった『館林城』があった場所で、一帯が『館林城跡』として館林市指定史跡(日本遺産『館林の里沼(SATO-NUMA)』の構成文化財でもあります)。大ホールと小ホールの間に池泉回遊式の日本庭園があります。作庭は昭和の東京の造園家・斉藤勝雄

国指定名勝のツツジの名所『躑躅ヶ岡』(つつじが岡公園)を目的に訪れた館林市の少しマニアックな庭園。

1974年(昭和49年)に建築された館林市文化会館、建築設計は日建設計。中庭を挟んで約1,000席の大ホールと約300席の小ホールから構成され、大ホールは2019年から館林市に工場のあるアサヒ飲料がネーミングライツを取得し現在は「カルピスホール」の相性で親しまれています。

開館と同時期に作庭された?この庭園、実はちょっと不思議な作風だなと思っていて…昭和後期〜平成前半に多い『江戸時代の大名庭園を再現する』かのようなオーソドックスな池泉回遊式庭園と比べると「重森三玲的な抽象的なカーブ/曲線』が好まれているというか。手前や奥の洲浜も“歴史的な庭園を再現した洲浜”というよりは重森庭園チック。

重森庭園ではないけれど、似た雰囲気を感じるのは丹下健三『香川県庁舎庭園』菊竹清訓『東光園』の庭園…菊竹清訓は館林にも建築作品を残しているので、そことの関連性と勝手に想像してしまう所。作者や意図・作風が語られてない以上「マニアックな庭園」になってしまうんだけど、当初はきっとチャレンジングな日本庭園だったはず…!
【追記】 作庭は昭和の東京の造園家・斉藤勝雄さんでした!

館林市文化会館をはじめ、現在は各種公共建築の建つ館林城跡。元は「尾曳城」と呼ばれ、室町時代に赤井照光により築城。戦国時代には越後国・長尾氏(上杉氏)、甲斐国・武田氏、小田原・北条氏といった大大名の間で支配が移り変わり、桃山時代に徳川家康が関東へ入ったのに伴い榊原康政が館林城主に。
以降の江戸時代も5代将軍・徳川綱吉を筆頭に(徳川綱吉自身はほぼ江戸に居たそうですが)、松平氏や太田氏など将軍家に近しい譜代大名により治められました。

明治時代の火災により江戸時代の建造物は焼失していまいましたが、三の丸のカルピスホールの近くには土橋門が復元されています。そんな歴史ある城跡という場も背景に持つ昭和の日本庭園、ぜひ立ち寄ってみて。

(2022年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

東武伊勢崎線 館林駅より徒歩15分(*駅近にレンタサイクルあり)
館林駅より路線バス「館林市役所前」バス停下車 徒歩5分

〒374-0018 群馬県館林市城町3-1 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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