2021年惜しまれながら閉店した名料亭が2023年に9日間限りの復活!西陣織の別荘だった数寄屋建築と小川治兵衛作庭の庭園“石翠”。(通常非公開)
旧粟田山荘庭園“石翠”について
「粟田山荘」(あわたさんそう)は昭和時代初期に西陣織の織元の別荘として造営され、その後1976年〜2021年までの45年間は「京都ホテルオークラ」グループで営業された高級料亭旅館。その庭園“石翠”は近代の京都を代表する庭師の系譜を継ぐ小川治兵衛(植治)の作庭。
2021年6月に惜しまれながら営業終了された粟田山荘。一度も訪れることができていなかったのがとても心残りだったのだけれど、2023年3月18日(土)〜26日(日)の期間で『野村重存先生の作品を旧粟田山荘で楽しむ会』が開催!
テレビ番組「プレバト!!」でお馴染みの野村重存さんの作品と喫茶を楽しみつつ、念願だったその庭園も堪能させていただきました。
かつての旧東海道の京都の入り口“粟田口”から程近く、京都・東山三十六峰の一つ“粟田山”の山裾に位置する粟田山荘。その歴史は1937年(昭和12年)に西陣の織元・細井邦三郎の別荘として造営。
昭和時代中盤に入り1976年(昭和51年)に京都ホテルの所有となり、以来料理旅館や結婚式場/ブライダルの場として用いられました。1986年には皇太子時代(浩宮親王殿下)の今上天皇の来館も。
2010年代にも「ミシュランガイド京都・大阪」で8年連続の1つ星を獲得するなど京都を代表する料亭であり続けたものの、新型コロナの影響で2021年6月で閉業。新所有者は明かされておらず、今後どうなるかが気になっている方も多いであろう場所ですが、今回のイベントはその建物内をほぼフルに活用!
420坪(約1390平方メートル)の中には建坪150坪(約490平方メートル)の和風建築と270坪(約890平方メートル)の庭園からなる粟田山荘。庭園に面した座敷は良質な木材をふんだんに活かした数寄屋造りでおそらく当初からある建築/玄関に近いコンクリート造の部屋は昭和の料亭開業時に増築されたもの(?)。
庭園には全面的に京都の名石が贅沢に使われています。前庭は丸くて黒い“真黒石”が事細かに組み合わされた美しい石畳のアプローチ。そして建築の東〜東南側に粟田山の斜面をまるっと活かした回遊式日本庭園“石翠”が。巨大な貴船石をアイキャッチにして、山裾をそのまま使った枯滝石組が素晴らしい!
山に植わったモミジは新芽を出し始めている時期。きっと秋は絶景だったのだろうなぁ。
施設曰く「作庭は小川治兵衛」とのこと。明治〜昭和初期に活躍された「七代目小川治兵衛」(と八代目・小川白楊)は昭和12年の時点では亡くなられているので、九代目の方が手掛けられたのかな。七代目・八代目ほど語られない九代目だけれどこの庭園は素晴らしい…!あと時代とタイプ的なところで『旧邸御室』の庭園と雰囲気が似ている。
一階から見る庭園ももちろん素晴らしいのだけれど、二階座敷の方が開放的な広がりがあって、目の前の粟田山だけじゃなく左手の比叡山の眺望が素晴らしい!
庭園も建物とても綺麗に維持管理されている様子が伺えました。入り口の大きな桜はもう散り始め。今後もこの様に活用されることを期待して…。
(2023年3月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)