重森三玲も絶賛した、“阿波の青石”の巨石石組が素晴らしい桃山時代の玉澗流の名庭園。国指定名勝。
阿波国分寺庭園について
「阿波国分寺庭園」(あわこくぶんじていえん)は、四国八十八箇所霊場の第十五番札所「薬王山國分寺」の境内にある庭園。桃山時代に作庭されたと伝わる“阿波の青石”の豪快な石組の庭園は国指定名勝となっています。ちなみに庭園名としては「阿波国分寺庭園」だけど、八十八ヶ所巡礼関連地図などに載る際には「国分寺」であることが多いみたい。検索する際には注意を。
この庭園の存在を知ったのは2011年に東京・ワタリウム美術館で行われた『重森三玲“北斗七星の庭”展』。それまで日本庭園=池、という先入観のあった自分にとって枯山水庭園というジャンルにほぼ初めて触れた機会だったのですが、その中で割と大きく紹介されていたのがこの庭園でした。パンフレットによると重森三玲は昭和41年にこの庭園の実測調査を行い
庭園の石組は、豪華であり、剛健であり、その技術の傑出している点では、各時代を通して、日本庭園中での第一級品
と最大限の賛辞を贈ったそう。
ということでそれ以来ずっと行きたいなと思っていた庭園で、2016年10月に初訪問。庭園と一体化した、また書院からの視点では背景の一つである本堂との組合せが素晴らしく、また大きな立石を多く用いた独特かつ豪壮な石組に圧倒された。
そして2019年の夏、3年前と同じように『瀬戸内国際芸術祭』で四国上陸したついでに再訪――したのですが、今回は本堂が修復中…!庭園の方にも支えるワイヤーが張られていたので、庭園目的だと万全の状態とは言い難い(なので拝観料は無料でした。自分はこの庭園が好きだから別でお賽銭入れたけれど…)。修復は2020年春まで。そのかし前回は通行禁止だった手前の中島に渡れたので、本堂前の枯流れを少し間近で見てみたり…。
*追記: 2020年7月下旬次点で庭園の修復工事に入ったという口コミも?庭園が見たい方は電話で問合せてみて。
阿波国分寺の歴史についても少しだけ。奈良時代の741年、聖武天皇の全国に“国分寺”の建立を命じました。この国分寺もその一つで、開基は行基。平安時代に弘法大師・空海が訪れ、真言宗に改宗。なお現在は曹洞宗。
その他の全国の国分寺と同じく当初は七堂伽藍・七重塔も立つ壮大な伽藍をほこったそうですが中世には衰退、1582年に土佐・長宗我部氏の阿波攻めの戦火で焼失。創建当初の遺構は塔の礎石と出土した瓦のみだそう。その歴史から境内も「阿波国分寺跡」として徳島県指定史跡となっています。
江戸時代中期の寛保元年(1741年)に徳島藩主・蜂須賀氏の命により奉行・速水角五郎と丈六寺・吼山養獅和尚により中興。現在の“瑠璃殿”という本堂は文化・文政年間(1804〜30年)に建立されたもので、元々あった庭園にくい込む形で建てられたのでは?と推定されているとのこと。
庭園もその際に大改修されているそうですが、元々あった庭園というのはその石組・造形の特徴から桃山時代のものと推定されています(長宗我部氏が攻め込む前後…?)。発見された時には既に枯池式庭園だったようだけど、元は池に水が張られてたのかなあ。
また、桃山時代〜江戸初期に阿波を中心に西日本で名庭園を手掛けた武将・上田宗箇が得意とした(あまり数がない)“玉澗流”の庭園の一つとしても挙げられます。(でもこの庭園は別に上田宗箇が関わったという史料も文献もない)
最初この庭園を訪れて以降、当時の3倍近い数の庭園に訪れて石組がすごい庭園も多く見たけど――やはりこの庭園は生で見ると立てた巨石がすごく刺激的で、その上で阿波の青石が抜群にかっこいいなー感が自分の中でまだあるのはやはりこの庭園と『旧徳島城表御殿庭園』の影響が大きい。また本堂の修復終わったら訪れたい!
(2016年10月、2019年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR徳島線 府中駅より2.5km強(徒歩約35分)
徳島駅より路線バス「国分寺前」バス停下車 徒歩6分
徳島駅より約8.5km(徳島駅前にレンタサイクルあり)
〒779-3126 徳島県徳島市国府町矢野718-1 MAP