“美作三湯”湯郷温泉を代表する寺院に残り、初代津山藩主・森忠政の別荘に造られた伝小堀遠州作庭の庭園。
安養寺庭園について
【拝観は要事前連絡】
「仁王院安養寺」(あんようじ)は“美作三湯”湯郷温泉から程近くにある真言宗御室派の寺院で、小堀遠州作と伝わる庭園が美作市指定名勝です。
5年ぶりに訪れた津山の締めはお隣・美作市のこの庭園。もうだいぶ暗くなり始めた時間だったので無理やり明るくしている見えづらい写真になってしまいましたが…こちらも遠州作庭説が残る、訪れたかった庭園!
最寄の林野駅からの行き方を調べていると、地図に“湯郷”という文字が見えた。なでしこリーグ・岡山湯郷Belleのホームタウンってこの辺だったのか!実際ホームグラウンドから安養寺までは徒歩30分程の距離。
安養寺はかつて飛鳥時代に聖徳太子によって開かれ、用明天皇の勅願寺でもあった「間山 高福寺」をルーツとします。所蔵している木像十一面観音立像は国指定重要文化財(旧国宝級)で、33年毎に御開帳が行われているそう。平安時代の中頃、恵心僧都の作とされます。またお寺は西日本播磨美作七福神の一つにも数えられます。
小堀遠州作庭説があるのは前庭にある亀島と、客殿裏の枯山水庭園。なお裏庭は警報機がセットしてあるそうなので庭園拝観は必ず事前予約を。
安養寺の裏山には中世までは“林野城”という城館がありました。桃山時代の慶長元年(1596年)に美作国・津山藩初代藩主となった森忠政は林野城の麓になるこの地に別荘を造営。その際に蓬莱枯山水、鶴亀の庭園が作庭されました。安養寺がこの地に移転するのはその後、元禄年間1697年のこと。
ただこの時間軸に基づくと…小堀遠州(小堀政一)とその父・小堀正次が備中の所領を与えられるのは1600年の関ヶ原の戦い以降のことなので遠州はまだ岡山に来てないんじゃないか、という気もする。
一方で森忠政が美作・津山の所領を与えられたのも関ヶ原の戦い以後。だとすると慶長元年というのが何かの勘違いで、小堀親子はこの地にも滞在していた?遠州作ではなく“遠州流”に留めてる文章もあるけど、逆に“遠州流”というジャンルも生まれてない頃だろうしなぁ。
細かい石組による築山と小さなサツキ・ツツジの刈込の組合せはその後江戸時代に広がる“遠州流”の庭園であろうことはたしか。…ただ写真を多く載せてる枯池の庭園ではなく、最後に1枚だけ載せている(画質悪い)築山のほうが、遠州っぽい感じがするかも…というかこっちがそうだったのかも。
ちなみに安養寺は通称“はだかまつり”と呼ばれる「安養寺会陽」というイベントが地元では有名だそう。毎年2月の第2土曜日という寒い時期に行われるこの祭りは約800年の歴史を持つそうです。
夕暮れ時に快く拝観を受け入れてくださり、また差し入れまで頂いてしまい感謝…。またちゃんと明るい時間に訪れなければ…!少しだけ歩いた湯郷の街並みもレトロな建物が幾つかあって…時間があったら温泉街にも足を伸ばしたかったな。次は湯郷温泉で一泊して訪れたい!
(2019年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)