鎌倉時代に建立の釈迦堂が国指定重要文化財(旧・国宝)の鞆の浦の古刹。重森三玲が復元の枯山水庭園と大ソテツが広島県指定文化財(史跡/天然記念物)。
安国寺庭園について
「瑞雲山 安国寺」(あんこくじ)は国選定の重要伝統的建造物群保存地区『福山市鞆町』=鞆の浦にある臨済宗の寺院。国指定重要文化財となっている鎌倉時代の建築「安国寺釈迦堂」をはじめ、室町幕府将軍・足利尊氏ゆかりの『備後安国寺』として広島県指定史跡。昭和を代表する作庭家・重森三玲が復元した枯山水庭園には広島県指定天然記念物『安国寺のソテツ』も見られます。
古くから瀬戸内海の“潮待ちの港”として栄え、近年ではジブリ映画『崖の上のポニョ』の舞台にもなった鞆の浦。港町としてだけでなく、江戸時代はじめに豊臣秀吉の家臣としても有名な大名・福島正則の下で『鞆城』の城下町として整備された町並みには多くの寺院も残ります。
その歴史について。鎌倉時代の文永年間(1270年代)に『金宝寺』として創建。国指定重要文化財(旧・国宝)の釈迦堂(仏殿)や木造阿弥陀三尊像、開山の木造法燈国師坐像などの仏像はその当時に建立/制作されたもの。
そこから時を経て1339年(暦応2年)、室町幕府初代将軍・足利尊氏/足利直義兄弟が南北朝動乱の戦死者を弔うため国ごとに置いた「安国寺」の一つへと改められました(備後安国寺)。
戦国時代の衰退を経て、桃山時代に毛利輝元と安芸・安国寺の安国寺恵瓊により再興。江戸時代には塔頭寺院も立ち並び海にまで伸びる広い境内をほこったそうですが、明治維新以降は廃仏毀釈の影響で無住となり荒廃。本堂は大正9年に焼失し今も基礎のみ残りますが、釈迦堂や境内は昭和時代の文化財指定にともなって修理が進み、現在へ至ります。
釈迦堂の奥に、本堂跡とともに広島県指定文化財(史跡)の枯山水庭園が残ります。昭和時代にこの庭園の調査/復元を担当したのが当時を代表する作庭家のひとり・重森三玲。氏によってこの庭園は室町時代に作庭された後に1599年(慶長4年)に安国寺恵瓊が改修したものと推測されています。
本堂跡から向かって左手に亀島、中央に鶴島を置いた鶴亀蓬莱様式の庭園で、右手奥に枯滝石組が。これらの中で一層の存在感を放つのが広島県指定天然記念物の「安国寺のソテツ」。かつては現在よりも大きな巨木だったそうですが、シロアリと台風の被害によって一部が倒れ、現在の姿は根株から伸びてきた新しい葉茎によるもの。
また安国寺は地元では夜桜で有名だそうで、春には釈迦堂の前の桜がライトアップされ、夜桜+重要文化財のお堂という幽玄な景色が地元の方々に愛されているそう。春に鞆の浦を訪れた際はその光景もチェック!
(2017年12月、2024年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)