二代目津山藩主・森長継の命で、京都『仙洞御所』を模して作庭された江戸初期の大名庭園。国指定名勝。
衆楽園(旧津山藩別邸庭園)について
「衆楽園」(しゅうらくえん)こと旧津山藩別邸庭園は江戸時代初期に津山藩二代目藩主・森長継が京都から庭師を招き作庭された大名庭園で、国指定名勝。岡山県では日本三名園の『岡山後楽園』に次いで2例目の国名勝の大名庭園なのですが、その作庭年代(1655年〜1657年)は後楽園よりも実は古い。
2019年秋、5年ぶりに津山の城下町へ!前回は今にも雨が降り出しそうなほど湿度が高くもやがかった夏の朝。周囲の山の借景なんて全く見えず、広大な回遊式庭園も回り終える頃には汗が止まらなくなってた……そんな記憶ばかりだったけど、今回は津山市街地で『紅葉まつり』も行われていた秋晴れの休日。周囲の山並みもきれいに見えたし園内のモミジも赤く色づいていた!そして多くの方で賑わっていました。
まずその歴史から。森長継により当初は家臣や他藩からの使者と謁見するための御対面所として造営され、現在も園内の北西部に残る茅葺き2階建ての“余芳閣”はその際に築造されたもの。だとすると庭園自体もそこからの長めに最も主眼が置かれていたのかも(10〜12枚目あたり)。
また森家の断絶後に越前松平家から松平宣富が藩主を務めて以後は藩主の別邸・隠居所として用いられたそう。江戸時代後期には御殿なども造営されたそうですがこちらは現在は残っておらず。“西御殿”という名だったそうなので、現在隣接する商業高校のあたりにあったのかも。
明治時代に入り、最後の津山藩主・松平慶倫により「衆楽園」と命名され公園として一般公開を開始。その後松平家から岡山県に寄贈されました。
大きな池泉が庭園の大半を締め、その構成は京都の『仙洞御所』を模したものとされます。めちゃくちゃ似てるとは思わないけど、
・紅葉の植わっている“紅葉島”を挟んで大きな池泉が連なっている
・周囲の山の借景
・「八ツ橋」という橋がある
といったあたりは確かに類似性があるかも。八ツ橋は現代の順路では園内の一番奥の目立たない位置にある(霧島という中島はそういった感じの印象)けど、当時は景観の中で重要な位置を占めていたのかも。裏門側からの水の流れや石組もとても良い雰囲気だったし。
また園内の北部分から池に流れ込む2つの小川・曲水があるのですが、その雰囲気がとても良くて。この辺は仙洞御所には見られない点、一方で岡山後楽園にはこういう小川あるよなあという。
岡山後楽園は藩の奉行が造営に携わった――という風に書かれていたりするけど、その方のセンスでデザイン・設計されたというわけでもないと思うので、その部分に携わった人間は多少なりとも美作のこの庭園を知っていたのかな…と想像。その流れ+池の畔に立つ“風月軒”や“清涼軒”の組合せなんかは『兼六園』っぽいなぁと思ったりもするんだけど、歴史的には兼六園の方が後。
11月中旬でこの紅葉。冬には雪の積もった大名庭園の姿も見られそう。一時期は「津山公園」という名になった時代もあったそうで、現在も無料公開されている点からも『観光施設としての大名庭園』というよりも都市公園的に市民が気軽に親しまれているというこれまた一つの愛された大名庭園の形。末永く愛されて欲しい大名庭園!
(2014年8月、2019年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR津山線 津山駅より徒歩25分(津山駅観光案内所にレンタサイクルあり)
津山広域バスセンターより路線バス「衆楽園市役所前」徒歩1分
〒708-0004 岡山県津山市山北628 MAP